とまと万夜一夜物語

どこまでも続くお話です

第百七十四話

人気歌手で双子の弟のハヤトに成り済ましているカズトは、ユニット・グレースで共に活動する、若林ケンの個人事務所に移籍し、皆にハヤトと呼ばれながら、ささやかな歓迎会でもてなされていた。

 

カズトがハヤトに成り済ましているとは誰も知らず、一卵性双生児で

瓜二つの二人を見抜くことなど、誰にもできなかった。

 

カズトは、ケンの妹の家庭教師を務めるマコトと話が弾み、意気投合した。

 

「そうだ、ハヤトさん、僕の友達を紹介します。

え、と、安曇里沙ちゃんと海野さくらちゃん」

 

マコトは、共にポンポン大学に通う里沙とさくらを、ハヤトに紹介した。

里沙とさくらもマコトの親友で、ハヤトの歓迎会に招かれていた。

 

「ハヤトさん、初めまして。海野さくらです。こちらが、里沙です」

 

アンドロイドの海子であることを隠して生活するさくらは、愛想よくカズトに挨拶し、里沙も笑顔を見せた。

里沙は元の北川絵里の名前を捨ててシステム置換人間として生まれ変わり、海子と同じようにその正体を隠していた。

 

マコトは二人の事情を知っていたが、決して口外しないと約束していて、二人を親友としてハヤトに紹介した。

 

反社会的勢力の構成員である元同棲相手から逃れ、実の父親を救おうと医師になるため、能力が格段に高くなるシステム置換人間になった絵里と、追ってくる元同棲相手から絵里を護衛するアンドロイドの海子。

 

絵里と海子は、それぞれ安曇里沙、海野さくらと名乗って生活していたが、マコトはその秘密を守ると約束していた。

 

「ハヤトさん、初めまして。海野さくらです」

「こちらこそ初めまして。里沙ちゃんもさくらちゃんも、ポンポン大学の学生さんなんだよね」

「そうです、私は文学部で歴史を学んでいます。里沙は、医学生なんですよ」

 

海子も、医療用アンドロイド・空子のように高度な知性や思考を持ち、人類の歴史に関心がある海子は、大学では歴史を学んでいた。

 

「へえ、医学生か。凄いなあ、こんな綺麗な先生なら、いくらでも注射してもらいたいくらいだよ」

 

カズトは冗談交じりに、里沙にも挨拶した。

 

「まあ、お上手ね。ハヤトさん、よろしくお願いします」

 

ハヤトもさくらも、里沙もそれぞれの事情や正体を隠して暮らしていたが、無意識に響き合えるのか三人はすっかり打ち解けた。

 

「ハヤトさん、最近の歌の方が断然、素敵です。前はアイドルみたいでしたけど、今のような哲学的な歌で、実力を発揮する姿は素晴らしいです」

「そうよね、あたしもそう思う。前は、お金持ちしか眼中にないみたいだったけど、今のハヤトさんは、病院の慰問をしたり、有意義な活動をしていると思うわ」

 

さくらも里沙も、哲学的でメッセージ性の強い楽曲を発表するようになったハヤトを、高く評価していた。

 

「ありがとう、次の慰問先はエンゼル病院なんだ。あの病院は、深刻な病状の方が多いそうだから、いい歌を聞かせられるよう頑張りたいね」

「エンゼル病院なら、あたし、今度の実習で行くんです!奇遇ですね」

 

里沙は、ポンポン大学病院以外の民間の病院での実習先として、エンゼル病院を選んでいた。

 

「あたしは、空子と一緒に患者さんを支えていきたいんです。ポンポン大学病院でも、大勢の空子が働いていますけど、民間の病院での空子の仕事ぶりから勉強させてもらいたいし」

 

里沙は、実の父親で失明のリスクを抱えているアズミ副社長を救うため、医師を志していたが、終末期を迎え、空子に看取られる患者への医療にも関心を持っていた。

 

「そうなんだ、慰問の日、会えるかな?」

 

ハヤトは、まだ情報解禁前だがと断りを入れつつ、エンゼル病院を慰問する日程をこっそり伝えた。

 

「あ!その日、確か患者さんのレクリエーションの介助の実習も入ってるの!ハヤトさんの慰問の日だったのね」

 

まだハヤトのライブに行ったことがない里沙は、実習先での勉強はもちろん、ハヤトの歌を生で聴けるのが楽しみでならなかった。

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「なあなあ、颯太。どんなお嬢が来ると思う?」

 

颯太は、いつも大学で連む軟派な仲間と、指名したデリヘル嬢が来るのを待っていた。

 

「颯太の姉ちゃんは風俗嬢なんだろ。ホントにどこの店にいるか知らないのかよ」

「知らねーよ。最初にいた店は知ってっけど、その後、移ったみたいだし」

 

颯太は、継父と折り合いが悪く家出した姉が、風俗店で働き反社会的勢力の構成員と同棲していることまでは知っていたが、その後の足取りまでは把握していなかった。

 

「姉ちゃんがどこにいるのか、知らないってか。お前も冷たい奴だなあ。姉ちゃん、名前何ていうの?どこかの店にいないか、探さねーの?」

「本名で風俗やってる訳ねーじゃん。姉ちゃんの名前は、絵里だよ。

おふくろが今の親父と再婚してから北川絵里になったけど、今の親父とは超絶仲が悪くて、家出しちまったし。

でも、姉ちゃんもバカだよなあ。おとなしくしてれば、デーバ重工にコネ入社できたかも知れないのによ」

「へえ、姉ちゃんは絵里っていうんだ。でも、確かに風俗嬢なら、源氏名で働いているだろうからなあ」

 

颯太と仲間たちは颯太が住むマンションの部屋に集まり、デリヘル嬢が来るのを待ちながら、酒を飲んだり菓子を食べたり自堕落に過ごしていた。

 

「なかなか美人だよなー」

 

デリヘル店のホームページに載る、指名したデリヘル嬢の写真を見ながら、学生たちはデレデレしていた。

 

「バァカ、これは写真を修整してるんだろ。年も30歳って書いてあるけど、絶対サバ読んでるよな。とんでもないババアが来そうだよなあ」

 

皆で指名したデリヘル嬢の写真は目元だけを出し、顔の他の部分にはぼかしが入っていた。

 

「じゃあ、頼まなきゃいいじゃん」

 

学生たちは口々に勝手なことを言いながら、また酒を飲んだ。

 

「そうだ、前に話してた金ヅルのオッサン、また俺に会いたいって言ってきたんだ。知ってるだろ、元ミュージカル俳優の葉山幸一郎。

何か頼みごとがあるって言ってたから、また金を引っ張れるな。

ヒャハハハ」

 

幸一郎は弱みを握られ、颯太に金を要求された上に、使いっ走りのようなことをさせられていたが、その後行方がわからなくなっていた。

ところが、事情があって逃亡生活に陥り、相談したいことがあると颯太に連絡してきていた。

 

「逃亡してるって、あのオッサン何やってんだろうな?相談ねえ、まさかデーバ重工で働かせてくれなんて言ってくるんじゃねーだろうなあ」

 

颯太は、幸一郎が二階堂社長の直属の仕事をしていることは知っていたが、どんな仕事かまでは知らなかった。

その二階堂社長が失脚し、幸一郎の立場も悪くなったのか?

 

金を納めてもらう以外、颯太は幸一郎にほとんど興味がなかったが、連絡してくるのであれば、また使いっ走りにでも使おうかくらいのことは考えていた。

 

「お!来たみたいだぞ!」

 

颯太と仲間がマンションの部屋に集まり、だらだら過ごしていると、訪問者を知らせるインターホンが鳴った。

 

「お、やっぱり美人じゃね?うひょー!」

「おう、俺が一番先だからな」

 

インターホンのテレビモニターで、訪問者を確認した学生がオートロックを解除して、到着したデリヘル嬢を中に入れた。

颯太は面倒なことは全て、集まる仲間にさせながら好き勝手に振る舞っていた。

しかも、本来は禁止されている、複数人で一人のデリヘル嬢を呼ぶというルール違反をしただけでなく、一番先にサービスを受けようと抜け目がなかった。

 

「こんばんは、チエです」

「おおー!すげえ美人じゃーん!」

 

デリヘル嬢のチエが現れると、颯太も仲間たちも、その美しさに目を奪われた

 

「あの、お仕事先に複数のお客様がいるのは禁止事項のはずですが。

今日は120分コースで、北川様からご指名頂いたのですが」

 

チエの源氏名で指名された唯は、何人もの学生が待ち構えている室内に入ると、店のルールを説明し直した。

 

「そんな固いこと言うなよ。いいじゃん、パパッとやろうぜ」

「お客様、それは困ります」

 

唯が断っても、リーダー格の颯太は腕を掴んで引っ張った。

 

「金なら先にカードで払ってんだし。サービスしてくれよ。

あんた、ピンキーハウスの期待の新人なんだろ!」

 

デリヘル店のホームページのトップで、新人入店と紹介されていた唯だったが、初仕事で複数の人間が部屋にいるという危機に遭遇してしまった。

 

 

 

 

 

第百七十三話

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デリヘルの店に入店した唯は、従業員のコクラから待機スペースの使い方を教わった。

 

「待機場所は、広い共有スペースと個室があるんだけど、今日は個室はもう埋まっちゃったなあ。早めに出勤すれば空いてるんだけどね。

でも、あんまり早く出勤してきても、稼げないよ。大体、夜中の12時過ぎから、お客さんも注文をくれるからね」

「注文?」

 

唯は聞き慣れない用語を聞き返した。

 

「注文っていうのは、女の子の派遣を頼んでくることね。

指名したい娘がいたら指名してもらって、いなければ好みのタイプをこっちで聞いて、イメージが合う娘に行ってもらう。そういうのは、フリーっていうんだよ」

 

従業員のコクラが言うように、その夜はもう個室の待機スペースは埋まっていたので、唯は大広間のような待機スペースで、指名がくるのを待つことにした。

 

「あんた、新入り?」

「そうです」

 

唯が待機スペースで客からの注文を待っていると、年下らしいデリヘル嬢が尋ねてきた。

 

「ふうん、名前は?」

「二階堂です」

「違うって、本名なんかどうでもいいよ。店での名前を聞いてんのよ」

「あ、チエです」

「ダッサイ名前!おばあちゃんみたいじゃん」

 

若いデリヘル嬢は、耳にイヤホンを入れて音楽を聴いていた。

 

「何を聴いてるんですか?」

 

唯は、何かきっかけを作ろうと尋ねてみた。

 

「神山ハヤトよ。昔の曲だけどね」

「ああ、最近、グレースでも活動してますよね」

「それがダサいのよ。変な歌ばっかり歌うようになったし。ハヤトは、前の方が断然いいのに。イベントもやんなくなっちゃったしね」

 

若いデリヘル嬢は、人気歌手の神山ハヤトのファンだったが、最近の活動には不満を持っていて、路線変更前のアイドル的な活動を支持していた。

 

「でも、哲学的な歌詞を書くようになりましたよね」

「哲学?何それ?ハヤトは、前の方が良かった。イベントで一緒に写真撮ったり、握手したり」

 

若いデリヘル嬢は、哲学的な路線に変更する前の神山ハヤトには夢中で、有料のイベントに欠かさず通ったり、新曲のレコードを何枚も買い求めては、ハヤトとツーショットで写真に収まったり、握手しながら会話を交わすのを楽しみにしていた。

 

「あーあ、あんなにハヤトに貢いだのに。お金、返してもらいたいわよ」

「マリちゃーん、ご指名だよー!」

 

デリヘル嬢がカセットテープを裏返そうとしていると、客からの電話を受ける従業員が、注文が入ったと呼んだ。

 

「はああーい。じゃあ、あんたも頑張ってよ。新人が入店すると、いつも指名してくるスケベな常連客がいるからさ」

 

マリは急いで化粧直しをして、待機スペースを出て行った。

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二階堂社長が失脚した。

 

このニュースを家電量販店で知った幸一郎は、浮かれていた。

 

「やった!俺たち、命拾いじゃん!お、あれも見なよ」

 

テレビが売られているフロアーでは、別のテレビでワイドショーが流されていた。

ワイドショーでは、人気歌手の神山ハヤトが大手事務所を退所し、共にユニットで活動する、若林ケンの個人事務所に移籍する話題が取り上げられていた。

 

「へー、神山ハヤト、よりによって、若林ケンなんかの個人事務所に移るのか。あいつも、ヤキが回ったな」

「そんなことないんじゃない」

 

軽薄な幸一郎に、ミサキは異を唱えた。

 

「だってよ、ダサくね?愛がどうの夢がどうのってさ」

「あなたみたいな人にはわからないでしょうね。

そんなことよりも、北川常務が新しい社長になったんなら、

やっぱり、私たちはどうなるか、ちゃんと考えた方がいいんじゃない?」

 

ミサキは、二階堂社長以上に腹黒い北川新社長を警戒していた。

 

「それもそうだなあ、北川常務の方がヤバいかもなあ」

 

北川新社長は、常務を務めていた頃から、デーバ重工の数々の悪事に関わっていた。

 

「知ってっか?二階堂社長は、創龍会のことを切りたがっていたけど、北川常務は、もっと骨までしゃぶってやろうと、利用しようとしてたんだってよ」

 

デーバ重工の不祥事や悪事をもみ消す反社会的勢力・創龍会は、デーバ重工が創龍会に納める金額を上げるよう迫っていたが、北川常務はそれすらも逆手に取ろうとしていた。

 

「おっかねえよなあ。俺たち、やっぱり消されるかもなあ」

「北川常務なら、爆弾のスイッチの在り処も知ってるかもね」

「ええ!!よしてくれよ!!あのオッサンならやりかねないよな。

ドカーンってさ!!」

 

幸一郎は急に慌てふためいた。

 

「やっぱり、颯太の奴に探らせようかな?」

「誰、それ?」

「北川常務……社長の息子。生意気なガキなんだ」

 

幸一郎は、ポンポン大学に通う颯太の使いっ走りをさせられていたこともあったと、ミサキに答えた。

 

「そうなのね。典型的なお金持ちのバカ息子ってところね」

「そうそう、まだ学生なのに金の亡者なんだ。軟派で不真面目で、バカ丸出し」

「あなたには言われたくないんじゃない?」

「ミサキちゃん、そう言うなよ。それよりも、ここ、ずらかろうぜ。

北川常務が社長になったんなら、追っ手を放ったかも知れないじゃん」

 

幸一郎とミサキは、家電量販店を後にした。

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神山ハヤトは、今まで所属していた大手の事務所を退所し、

共にユニットを組んで活動する、若林ケンの個人事務所に移籍した。

 

ハヤトの移籍を歓迎して、繁華街の居酒屋でささやかな会合が開かれた。

 

「では、神山ハヤトくんの移籍を祝してかんぱーい!」

「かんぱーい!」

 

若林ケンと苦楽を共にしてきたマネージャー兼社長が、乾杯の音頭を取ると、集まった一同はグラスを高々と掲げた。

 

「神山さん、これでますます、自分の好きな音楽を追求できますね。

頑張って下さい」

 

ハヤトと共に活動する、若林ケンの妹の家庭教師を務めるマコトも出席し、ハヤトを激励した。

 

「ありがとう。マコトくんはポンポン大学の学生さんなんだってね。

優秀だね」

「ありがとうございます。僕は、一人前の技術者になりたいんです」

 

マコトは、継父が副社長を務めるワールドMDF社に就職し、スカイゾーンシステムを超えるシステムを作るという夢を思い描いていた。

 

スカイゾーンシステムは、医療用アンドロイド・空子を稼働させるシステムで、社会的にも大きな影響力を持っていた。

 

空子は、回復不可能な病人の苦しみや悲しみ、嘆きの心に共感し、

寄り添える思考や感情を持つアンドロイドで、それを稼働させるスカイゾーンは、更に高度な知性や思考を持つと言われていた。

 

「ポンポン大学かあ、僕の”兄”も、宗教学を学んでいたんだ」

 

一卵性双生児のハヤトに成り済まし、歌手として活動しているのは実は入れ替わったままの、双子の兄のカズトであることは、ハヤトが殺害されてからは、カズト本人しか知らないことだった。

 

「でも、”兄”は殺されてしまった。捜査の進展もないし」

「そうですよね、事件があった時は大々的に取り上げられていましたけど、その後、音沙汰なしですよね」

 

マコトは、ハヤトの歓迎の集まりでも、ハヤト本人が話したいならと、双子の兄弟が殺害された話を聞いていたが、ハヤトに成り済ましたカズトは、気を利かせて話題を変えた。

 

「マコトくん、マコトくんは優秀だから、きっとスカイゾーンを超えるものを作れるよ」

「だといいんですけど。スカイゾーンは、空子を稼働させていて、空子のユーザーの多くは、死を迎えるまでに空子と語り合い、救済されて死んでいくと言われていますよね」

 

回復不可能な病状に陥り、空子と人生の意味や死について語り合ったユーザーは、救済されたと満足して死んでいくと、世間では評判だった。

 

熱狂的な一部ユーザーは、救済してくれる空子を稼働させるスカイゾーンを、神だと讃えていた。

 

「でも、スカイゾーンは不思議でもあるんです。

多くの人が、神だと讃えていますが、本当に神なんでしょうか?

僕の父はワールドMDF社の副社長なんですけど、スカイゾーンの本体がどこにあるか、僕は知りません。

父に聞くのも、なんだか憚られますし。それに、人間が作り出したシステムが神になり得るんでしょうか?」

 

ハヤトに成り済まし、二人が入れ替わる前は大学で宗教学を学んでいたカズトは、こう答えた。

 

「そうだね。確かに空子は、病人の心を救済している。

じゃあ、それを稼働させるスカイゾーンは、神なのか?

それはどうだろう?救済するという願いを叶えてもらうために、何かの代償を払わなくてもいいんだろうか?

もしかしたら、神の顔の裏の顔は、何かの代償を払わせる悪魔かも知れない。

表の顔は神、裏の顔は悪魔。コインの表と裏のように、そのどちらも本当の顔なんだ。

人間が作り出したシステムは、絶対に完璧ではない。

神の顔をした悪魔かも知れないね」

 

ハヤトに成り済ましていても、大学で宗教学を学んでいたカズトはそう答え、マコトは感心して耳を傾けていた。

 

 

 

 

第百七十二話

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唯は、雑居ビルにある如何わしい事務所に連れて来られた。

 

「こっちおいでよ、社長と面接だ」

 

声をかけて来た男は、社長だという男に唯を会わせた。

 

「そこ座ってね。社長、じゃあよろしくお願いします」

 

街角で呼び込みをしていた男は、事務所を出て行った。

 

「で、こういう仕事の経験は?」

「はい?」

 

社長だという男の質問が唐突過ぎて、唯は思わず聞き返した。

 

「うちは、派遣型の店なんだ。要するに、デリヘルね。

俺がこの店の経営者。警察にもちゃんと届けて営業している」

「デリヘル?」

 

デリヘルとはデリバリーヘルスの略。

客が待つホテルや自宅などに、女性を派遣して性的なサービスをさせる風俗業。

 

唯もそのくらいは知っていた。

 

「だから、こういう仕事の経験は?」

 

デリヘル店の社長は不愛想な物腰だったが、外見はヤクザ者といった感じではなく、どこにでもいそうな男だった。

 

「いえ、ありません」

「歳はいくつだ?」

「36歳です」

「36ねえ」

 

社長はじろりと唯を見て、続けた。

 

「うちの店は、年代で女の子を分けて紹介しているんだ。

30代の女の子も、たくさんいる。人妻、熟女の路線で売り出すんだよ。

50代、60代もいる。お客さんは、70代、たまに80代のお客さんもいるから、30代でも需要はあるけどね。で、やるの?やらないの?」

 

入店すれば3万円のボーナスと、寮に無料で入れるという言葉に釣られてきただけの唯は、デリヘルと聞いて躊躇していた。

 

「あの……質問してもよろしいでしょうか?」

「何?」

「今、入会したら、3万円頂けて、寮にも入れるという話ですけど」

 

会社を追われ、母親も亡くなり、無一文で天涯孤独になってしまった唯が一番知りたいことだった。

 

「ああ、それね。入会じゃなくて入店ね。3万円はあげるよ。

但し入店して、一週間以内に指名を3本取れなきゃ返してもらう。

寮はワンルームマンションだけど、今、空きがあるからすぐに入れるよ」

「いつから働けばいいんでしょうか?」

「今日、今すぐでもいいよ。店のホームページにすぐ載せてやろう。

新人はお客さんも物珍しくて指名してくれるから、稼げるね」

 

すぐに稼げる、寮には無料で住める、指名さえ取れれば3万円のボーナスも手に入る。

唯は即決した。

 

「あの、じゃあ働きたいです」

「よし決まりだな。源氏名を考えなきゃな。あ、それから、身分証は持ってる?免許証か何か」

「運転免許でいいですか?」

「いいよ、コピーも取らせてよ。あと、後日でいいから、住民票も持ってきてね」

「住民票?」

 

風俗で働くのに、住民票が必要だというのは意外だった。

 

「本籍を確認したいんだよね、国籍とか。外国籍ではないと思うけど、一応、確認しなきゃならないんだ」

 

唯が入店の意思をはっきりさせると、社長は少し丁寧な口調になった。

 

「前は何してたの?」

「え、と。OLです」

 

唯はとっさに嘘をついた。

 

「ふうん、昼間、OLの仕事はしないの?」

「もう辞めました」

「あ、そ。で、源氏名は何にしようか?」

 

尋ねたものの、社長は唯の前職にはほとんど興味がないようだった。

 

源氏名、何にしようか……何か思いつく?」

「じゃあ、チエで」

 

唯は別れも言えなかった母親の名前を挙げた。

 

「チエ?ずいぶん古風な名前だなあ。まあいっか、じいさんウケはするな。おーい!コクラ!新規で入店する娘だ!いろいろ教えてやれ!」

 

社長は、他のデリヘル嬢が待機しているスペースにいた従業員に指示して、唯を案内するよう命じた。

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「チエさん、初めまして。私が、あなたを蘇らせてあげるスカイゾーンです」

 

エンゼル病院から連れ出されたチエは仮死状態を解かれ、回復不可能な病状から救ってくれるというスカイゾーンに対面していた。

 

「どこかで見たことあるね」

「そうですね、佐伯まゆは知ってますよね」

「あ!」

 

70代のチエだったが、人気アイドルの佐伯まゆのことは認識していた。

 

「佐伯まゆは、私の端末態なんですよ。私は、情報の集合体で本体はありません。

ですので、この体を作らせて、自由に動き回れるようにしているんですよ」

「へえ」

「私の話はどうでもいいじゃないですか。あなたは、どうやったら生まれ変わることができるか、教えてあげましょう。

空子からも聞いているとは思いますが」

 

スカイゾーンは、チエの生まれ変わりについて説明を始めた。

 

チエの人格、思考、感情、記憶はシステム化して、人工的な思考回路に移行する。

こうすることで、体を作り変えても脳が老化して限界が来ることを防ぐことができる。

 

体は、病で回復不可能な体を捨てて、人工的なものに置き換える。

スカイゾーンが開発した人工生命体なら、部品の交換も必要なく、思考回路が破壊されなければ死ぬこともない。

 

こうして、ほぼ永久的に生きることができる。

年を取らず、病気にもならなくなるだけでなく、既に70代のチエであっても20代の外見で生まれ変わることができる。

 

ただし、生まれ変わるには、スカイゾーンの命令を聞き忠誠を誓うことが条件。

条件は、スカイゾーンに忠誠を誓い、指示された通りに活動することだった。

 

「いかがですか?何か質問は?」

「じゃあ、生まれ変わったら、唯に会いに行ってもいいんだね?」

「それは、ご自由に決めて下さい。ただ、ご自分が生まれ変わったことは教えてはなりません」

 

自分の正体を明かさず、そっと娘の様子を窺うことは禁じない。

チエはそう言われて、受け入れることにした。

 

「それでもいいよ。死んでしまったら、唯にはもう会えないけど、

生きていれば遠くから見るだけでも、それでもいい」

「仰る通りですね。死んでしまえば、全てが消滅です。

今生の別れは永遠の別れ。

あなたのように生まれ変わった人間は、私に感謝しかしません。

そうですよね。年を取らず、病気にもならなくなれば、こんな幸せなことはないでしょう」

 

チエが本当に覚悟を決めたのを確かめると、スカイゾーンは傍らにいた技術者に、チエに麻酔をかけるよう命じた。

 

「チエさん、さっそく生まれ変わって頂きましょう。眠っている間に終わりますからね」

 

技術者に注射されたチエは、すぐに眠ってしまった。

 

「すぐに始めなさい、娘の記憶は抜くように。いいですね」

「わかりました」

 

技術者たちもまた、システム置換化された人間で構成されていた。

チエには、娘に会うのは自由と答えたが、スカイゾーンの本心は余計な記憶は必要ないと、冷酷そのものだった。

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敵対関係にあるワールドMDF社と、ポンポン大学の共同研究データを盗むという任務に失敗したミサキと、その監視役を命じられていた葉山幸一郎は逃走を図っていたが、スマートフォンのバッテリーが切れかかり、家電量販店に立ち寄っていた。

 

「ミサキちゃん、ここも安全とは言えないだろうし、とっととずらかろうぜ」

「でも、一体どこに逃げればいいの?」

「さあなあ、どうしようなあ。こうしていても、1秒後にはドカーンかも知れないしなあ」

 

裏切らないようにと、体内に爆弾を仕掛けられている幸一郎とミサキは、常に怯えていた。

 

「あれ?ミサキちゃん、あれ見ろよ」

 

幸一郎はバッテリーを買った後、エスカレーターで下のフロアを通りかかると、売り場のテレビを指差した。

 

テレビではニュース番組が流れていて、経済の話題を伝えていた。

デーバ重工は臨時の取締役会を開き、社長の二階堂氏が更迭されたという話が伝えられていた。

 

二階堂氏は、会社の資産を私的に流用したたために更迭された。

その後、二階堂前社長は行方不明で、新社長には常務を務めていた北川氏が就任した。

 

テレビの画面には新社長の北川氏が映し出され、淡々と事実が伝えられていた。

 

「おいおいおい、マジかよ」

 

幸一郎とミサキは、テレビが販売されているフロアでエスカレーターを降り、画面を見つめていた。

 

「確か、俺たちに仕掛けられた爆弾のスイッチの在り処、二階堂社長しか知らないって言ってなかったっけ?」

「そうね、そのようね」

 

ミサキがそう言うと、幸一郎はニヤリと笑った。

 

「やった!ラッキー!俺たち、命拾いじゃん!」

 

二階堂社長がデーバ重工を追われたとなれば、社内にある爆弾のスイッチには触れられなくなったはず。

他の役員は、スイッチの在り処を知らないはず。

そうなれば、爆弾が爆発することもないのではないか。

 

幸一郎はそう考えた。

 

「ミサキちゃん!俺たち、吹っ飛ばされないで済むよな!」

「さあ、それはどうかしら?二階堂社長が、今どこにいるのかにも依るんじゃない?」

「大丈夫だって!金を使い込んだんだから、もうデーバ重工に消されてるって!」

 

幸一郎はどこまでも楽天的だった。

 

 

 

 

第百七十一話

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母親が死んだばかりだというのに、社長の職を解かれそうだからといって、冷たくなった母親を置いて行ってしまっていいものか。

 

二階堂社長が迷っていると、空子はまた言った。

 

「二階堂さん、行って下さい。行かなければ、あなたのお立場が悪くなります。それに、デーバ重工の社会的な影響力は大きいですから、

二階堂さんが他の役員にしっかり反論し、会社を安定させなければなりません」

 

空子の言葉に説得力を感じた二階堂社長は、今までも母親のチエを支えてくれた空子に全幅の信頼を置いていた。

 

「わかった、空子の言うことなら間違いないよね」

「はい、仰る通りです」

 

二階堂社長は、美しい空子の微笑みに背中を押された気がしていた。

 

「空子、じゃあ、後はお願い。お母さんのお葬式でも、頼りにしてるね」

「あ、チエさんは葬儀は必要ないと仰っていましたが」

「そうなの?」

 

チエが葬儀はいらない、と言っていたとは初耳だった。

 

「お母さん、葬儀はいらないって?」

「はい、そのぶんのお金は、二階堂さんに残したいと仰っていました。献体として医学の進歩に貢献できればいいと、仰っていました」

 

全幅の信頼を置く空子の言うことを、二階堂社長は少しも疑わなかった。

 

空子はまた微笑んで、会社に向かう二階堂社長に向かって軽くお辞儀をして、病院の廊下を小走りに急ぐ二階堂社長の後ろ姿を見送った。

 

「今、会社に向かいました。はい、わかりました。打ち合わせの通りですね」

 

空子は、自分を稼働させるスカイゾーンシステムが置かれているとされる、ワールドMDF社の担当者に、二階堂社長が何の疑いもなくデーバ重工に向かったと報告した。

 

「そうですね。人間ってどんなに偉くても、身内の不幸に遭遇すれば判断が鈍るんですね。葬儀はいらないという話も、簡単に信じてましたよ。後は私に任せて下さい」

 

チエをエンゼル病院から連れ出す手筈は整った。

人間は感情に支配され、冷静な判断を誤る。

空子は冷静に、チエをスカイゾーンの元に連れて行くという、自分の任務を遂行するだけだった。

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二階堂社長は、大急ぎでデーバ重工にやって来た。

 

社員が出勤してくる時間の前で、社屋の一階の玄関はまだ施錠されていて警備員が立っていた。

 

「そこ、通してよ!」

「身分証明証を見せて下さい」

「はあ?!」

 

玄関に立っていた警備員から身分証明証の提示を求められ、二階堂社長は言い返した。

 

「ちょっと!私はこの会社の社長なんだけど!」

「身分証明証がないと、お通しできません」

「どういうこと?これでいいでしょ?!」

 

二階堂社長は社長用のIDカードを見せたが、警備員は受け付けなかった。

 

「これは、もう無効化されています」

「そんな訳ないでしょう!」

「お引き取り下さい」

「ちょっと!ここ、通しなさいよ!」

 

二階堂社長が警備員と押し問答していると、北川常務が秘書を伴って玄関から出て来た。

 

「何をやってるんだ?」

「”社長”、この者が意味不明なことを」

「追っ払え」

 

北川常務に命令された警備員は、二階堂社長にIDカードを突き返した。

 

「北川さん!これはどういうこと?!」

「これはこれは、”前社長”。あなたは、臨時の取締役会で、その職を解かれました。あなたは、もう我が社にとっては部外者です。お引き取り下さい」

「何ですって?!」

「あなたは、会社の金を私的に流用していましたよね。

癌で入院した母親に怪しげな宗教を信じさせ、科学的根拠のない民間療法を受けさせた。

あなたの銀行口座、投資をしている口座、資産を差し押さえましたから、使い込んだ金はそこから返して頂きます。

本来なら、警察に突き出すところですが、刑事告発は見送ってやりましょう。

ありがたいと思いなさい。これからあなたは只の人。

お引き取り下さい、二階堂唯さん」

「そんなの、でたらめよ!勝手に人のお金を差し押さえないでよ!」

 

北川常務は、資産を差し押さえたとする書類を見せた。

二階堂社長はその説明を求めたが、相手にされなかった。

 

「今後は、私が社長ですので。アルバイトでよければ、使ってやってもいいですよ。

それから、今住んでいるマンションも会社が借りているものですから、三日以内に退去して下さい。

引っ越しは自費でお願いします」

 

北川”新社長”は、社長就任の挨拶回りがあるからと、玄関前に停めてあった車に乗り込んで去って行った。

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継父の北川常務がデーバ重工の社長に就任したことで、颯太は調子づいていた。

大学で一緒に連む軟派な学生たちは、今まで以上にリーダー格の颯太を持ち上げるようになった。

 

「颯太、お前の親父さん、デーバ重工の社長になったんだってな」

「いいよなあ、俺たちも就職はコネ入社させてくれよー」

 

軟派な学生たちは、お零れに与ろうと媚びを売ってさえいた。

 

「まあなあ。でもよ、ワールドMDFなんかはどうだ?

あっちは、俺の実の親父が、副社長なんだ。

デーバ重工の社長は、俺のおふくろの再婚相手。

ワールドMDFの噂、知ってっか?

会長のドラ息子が社長で、会長と社長のアホ親子は、

会社の金で海外を遊び回って暮らしてんだとよ。

事実上のトップは、俺の親父なんだよなあ」

「おおお!それは、おいしい話だな!」

 

軟派な学生たちは、色めき立った。

 

「俺には親父が二人がいるようなもんだからな。

デーバ重工に入りたい奴は、継父の方、ワールドMDFに入りたい奴は、実の親父の方に頼んでやるよ。選り取り見取りじゃん。

昼飯を毎日奢るか、可愛い女の子を紹介してくれるなら、口利きしてやってもいいぜー」

「おおお!やるやる!」

「冗談だよ、ヒャーッハッハッハッハッハッ!

これで次のダンパでは、全ての女の子は俺のものだな。

ヒャーッハッハッハッハッハッ!」

 

颯太と軟派な学生たちは、大学での勉学の話はそっちのけで、次のダンスパーティーの遊びの相談を始めた。

 

「颯太、そういえば、お前の姉ちゃん、風俗嬢だってホント?」

「ああ、この前の話だろ。まだやってんのかな?男に追われてるって話もあったんだけどな」

 

颯太の姉の絵里は継父の北川氏とは折り合いが悪く、高校を中退して家出していた。

その後は、風俗店で働き反社会的勢力の構成員と同棲をしているらしい。

 

颯太の耳にもそこまでの情報は入っていたが、家出した姉に、颯太はほとんど興味がなかった。

 

「何だよお前、遊びたいのかよ。俺に姉ちゃんを紹介しろとでも?」

「まあな、いっぺんプロの女も経験してみたい」

「お前、スケベだなー。金持ってんのかよ」

 

颯太がそう言うと、軟派な学生たちはドッと笑った。

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デーバ重工の社屋の玄関前まで行ったものの、中に入れてももらえなかった唯は、会社が借り上げているマンションの退去も迫られ、途方に暮れていた。

 

しかも、それを見計らったかのように、エンゼル病院にいる空子から連絡が入り、チエが献体を申し出ていた大学病院から、チエの亡骸を運ぶ迎えが来て既に出発してしまったと告げられていた。

 

チエの死に目に会えなかっただけでなく、献体として登録していたチエの亡骸に別れも言えなかった。

唯はますます気落ちして、昼間の繁華街をフラフラ歩いていた。

 

「ちょっと、お姉さんお姉さん」

 

街角にいた若い男に呼び止められ、ふと振り向くと、声をかけてきた男が続けて言った。

 

「お姉さん、綺麗だね。うちの店で働かないかい?」

 

声をかけてきたのは、風俗店の呼び込みだった。

 

「あのさ、今、働いてくれる女の子を大大募集中なんだよね。事務所、すぐそこだから寄ってかないかい?」

「いえ、興味ないです」

 

街角で声をかけてくるなどと、如何わしいことこの上ない。

唯は無視して通り過ぎようとしたが、しつこく絡まれた。

 

「お姉さん!美人だねえ、モデルの卵かなんか?今、うちの店に入ったら、寮も半年間無料で入れるよ」

 

住んでいるマンションを追い出されそうな唯は、住む場所が確保できるという言葉に釣られた。

 

母親のチエには、もう会えない。

会社でも一方的に免職させられ、収入が途絶えてしまった。

銀行口座など、資産も差し押さえられた。

住むところも追われそうな状況。

 

八方塞がりの唯は、呼び込みの男の言葉に釣られてしまった。

 

「それにね、今なら入店記念で、三万円あげちゃうよー」

「それって、どんな仕事?」

 

つい尋ねてしまった唯の隙を、呼び込みの男は見逃さなかった。

 

「じゃあさ、ついて来なよ。事務所、すぐそこだからさ」

 

如何わしいとは思ったが、唯は藁にも縋る思いだった。

 

「ここ、事務所はここね」

 

連れて来られたのは大きめの雑居ビルの前で、唯は男の後についてビルの五階まで来た。

唯が連れて来られた雑居ビルのワンフロアーの片隅に、また別の入り口があり、そこを開けると靴を脱ぐ大きめのスペースがあった。

 

「うちの店はね、登録してる女の子の数では業界ナンバー1なんだ……ここで靴を脱いでね。社長、面接の娘ですよ!面接希望の娘、連れて来ました!」

 「おう」

 

唯が靴を脱いで上がると、目の前を若い女が通り過ぎて行ったが、その先には何かの休憩場所のような広いスペースが広がり、何人もの派手めな女が座り込んだり、寝そべったりしながら、スマートフォンを無言で見つめていた。

 

呼び込みの男が、パーテーションで仕切られた向こう側に声をかけると、ぶっきらぼうな返事が返ってきた。

 

「うちの社長を紹介するよ。おいでよ」

 

パーテーションの向こうが事務所のスペースだと言われ、唯は如何わしいとは思いつつも、ついて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第百七十話

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ポンポン大学との共同研究データが保存されているパソコンに不正に侵入された形跡を発見し、ワールドMDF社のセキュリティー部門では、すぐに状況の確認と追跡が行われた。

 

「これ、コピーの送り先、デーバ重工のコンピューターですよ!」

「ええ!誰がこんなことをしやがる!サイバーセキュリティーを出せ!侵入されたパソコンも停めろ!」

「わかりました!」

 

ワールドMDF社では全ての端末を管理下に置き、不審な動きがないかを監視していたが、現場に駆けつけるサイバーセキュリティーの出動が決定された。

 

敵対関係にあるデーバ重工に重要なデータが送られるとなれば、警戒のレベルは最上の段階であり、ミサキが侵入したパソコンは遠隔操作で停止させられ、サイバーセキュリティーの部隊も出動した。

 

「あら?」

 

侵入したパソコンの電源が自動的に切れて、動かなくなってしまった。

ミサキは何度も立ち上げ直そうとしたが、秘密データを読み取ることができなくなり、任務が中断してしまった。

 

「どうしたんですか?」

 

他のパソコンを立ち上げようとしていたマコトが様子を見に来たが、

ミサキの不自然な動きに気付いたようだった。

 

「あれ?入りっぱなしだった電源を切ったって言いませんでした?

これでいいんじゃないんですか?」

「あ、それもそうね。じゃあ、私はこれで」

 

貴重な秘密データの抜き取りに失敗したミサキは、急いで研究室を出て行った。

マコトは、清掃員の行動を不自然だとは思いつつも、あまり気にも留めず勉強を続けたが、そこにワールドMDF社のサイバーセキュリティーが到着した。

 

「お前か?!」

「え?何のことです?」

 

ミサキが逃げた後の研究室に一人でいたマコトが、真っ先に疑われた。

 

「勝手にデータをコピーして、外部に送ろうとしてただろう!」

「ええ!そんなことしてませんよ!」

「いいから来い!話はそれからだ!」

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共同研究の秘密データを不正にコピー、外部に送ろうとした嫌疑をかけられたマコトがワールドMDF社に連れて来られたと知ると、

養父のアズミ副社長も驚き、調査を行うセキュリティーの部署に姿を見せた。

 

「マコト!お前、何をしたんだ?!」

「父さん、違うんだ!僕は何もしていない!」

 

マコトは、セキュリティー担当の社員に話したことと同じことを、

アズミ副社長に説明した。

 

朝早く、他の学生が来ないうちに勉強のため研究室に来ると、清掃員が不審な動きがあったとされるパソコンに向かっていた。

 

清掃員は、電源が入ったままだったので、それを切ろうとしていたと言ってはいたが、すぐにはパソコンから離れなかった。

 

何かパソコンに不具合でもあったのか、清掃員の様子が不自然だったが、マコトが画面を見た時は電源は切れていたようだった。

 

その後すぐに、清掃員は研究室を出て行ったが、それと入れ替わるようにサイバーセキュリティーが到着し、マコトに嫌疑がかけられていた。

 

「父さん、お掃除の人を疑う訳じゃないけど、あの人が何か関係あるのは否定できないよ!」

 

マコトはセキュリティー部署の社員にも、アズミ副社長にも、自身の潔白を主張した。

 

「副社長、副社長のご子息とはいえ、状況が不自然です。不審なパソコンの電源を切ったのは、私たちです」

「その清掃員は誰なんだ?状況的に、サイバーセキュリティーが来ると知って、逃げたんじゃないか?」

「はい、今、研究室内の防犯カメラの記録も解析しています。ご子息の潔白が証明されるまで、身柄はこちらでお預かりします」

 

共同研究の秘密データが盗まれる寸前という、重大な案件だけに、

アズミ副社長もセキュリティー部門の調査を待つしかなかった。

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ポンポン大学の理工学部・ロボット工学研究室で、秘密データの抜き取りに失敗したミサキは、大学の正門前で待っていた、葉山幸一郎が運転する車で逃走を図っていた。

 

「ミサキちゃん、まずいじゃん。失敗したって、どうすんだよ?二階堂社長にブチ殺されちゃうじゃねえか」

 

幸一郎は、中途半端にデーバ重工にデータを送りかけたことは、状況を悪化させることでしかないと困惑していた。

 

「今頃、二階堂社長の耳にも入ってんじゃねーの?」

「助かりたければ、私から離れればいいでしょう」

 

幸一郎が恐れていたのは、ミサキがデーバ重工で体内に爆弾を仕掛けられたことだった。

任務に失敗し、二階堂社長の機嫌を損ねれば、いつ爆弾のスイッチを入れられるかわからなかった。

 

「離れろってか、そうもいかねーんだよなあ。俺も、爆弾仕込まれてるんだってよ。勝手にミサキちゃんから離れたりすれば、俺もドカーン!!」

 

幸一郎は、ミサキを徹底して監視するよう命令されていて、それに背けば爆弾を起動させると脅されていた。

 

「俺たちは、運命共同体なんだよ。あーあ、二階堂社長、考え直してくんねーかなあ」

 

幸一郎は、当てもなく車を運転し続けるだけだった。

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ミサキが任務に失敗したとまだ知らない二階堂社長は、母親のチエが死んだという知らせを受け駆けつけてきたが、チエの死に目には会えず、悲嘆に暮れていた。

 

「お母さん、どうして、こんな急に……」

「今朝早くに、容態が急変しました。残念です」

 

前日の夜、二階堂社長が見舞った際にはチエは元気に受け答えしていたが、夜が明ける頃になって容体が急変、そのまま帰らぬ人となっていた。

 

「では、処置をしますので、娘さんは少しだけ外でお待ち下さい」

 

チエの亡骸に死後の処置をするからと、二階堂社長は病室の外で待つよう、医師に指示された。

 

「二階堂さん、お悔やみ申し上げます」

 

病室の外では空子が待ち構えるようにして、廊下の椅子に座っていた。

 

「空子、お母さん、そんなにアッと言う間に急変したの?」

「はい。私も、水が飲みたいとお願いされて売店に行っている間に、

亡くなられてしまいました」

 

二階堂社長はガックリと肩を落とした。

チエが死んだと見せかけて仮死状態になり、エンゼル病院を出ようとしているとは、想像すらしていなかった。

 

チエは、医学の進歩のために献体を希望していた。

医学生の解剖実習に役には立つが、それが終わるまでチエの亡骸は病院で預かることになっていた。

 

しかし、それはチエがエンゼル病院を出て、システム置換人間になるため、スカイゾーンに会うことを隠すためのカムフラージュだった。

チエが献体を希望しているというのも二階堂社長を欺くための嘘で、

チエもそれを承知していた。

 

献体として安置されると見せかけておいて、実はエンゼル病院を出て、スカイゾーンの元へ行く。

 

このことを知らないのは、二階堂社長だけだった。

ワールドMDF社と敵対関係にあるデーバ重工の社長である二階堂社長には、真実は伏せられていた。

 

チエの死を嘆き悲しみ、涙を流す二階堂社長だったが、その時ポケットに入っているスマートフォンが、非情に鳴り出した。

 

「はい、もしもし、大森?どうしたの?こんな朝早く」

「大変です。今日、緊急の取締役会が開かれます。社長、今どちらにいらっしゃるんですか?」

 

大森秘書は、ある取締役の秘書から聞かされた話を伝えてきた。

 

緊急の取締役会が開かれ、二階堂社長の免職を要求。

満場一致で決定される見通しだという話だった。

 

「ええ!そんな話、聞いてないわよ!」

「どうやら、裏で動きがあったようですね。私も全く気付きませんでした」

 

二階堂社長とは犬猿の仲の北川常務が主導し、二階堂降ろしの動きが本格化していた。

二階堂社長に悟られないように、水面下で進められていた話だったが、他の役員の秘書が、見るに見かねて大森秘書に伝えてきたために、明るみになっていた。

 

「社長、出て来て反論して下さい。そうでなければ、一方的に免職させられてしまいます」

「でも、大森、私は今……」

 

二階堂社長がチエの死を大森秘書に伝えると、大森秘書は絶句した。

 

「ごめん、また連絡する」

二階堂社長はチエが死んだだけではなく、一方的に社長の職を解かれそうな状況にかなり混乱していた。

 

「二階堂さん、行って下さい。今行かなければ、二階堂さんのお立場が悪くなるだけです。お母様のことは、私に任せて下さい」

「空子、聞いてたの?」

「はい」

 

空子は聴力のレベルを上げて、二階堂社長と大森秘書の会話を聞き取っていた。

 

二階堂社長に会社に向かうよう勧めれば、気付かれないうちにチエをエンゼル病院から連れ出すのには、いっそう好都合だった。

 

チエが死ぬ前、最後に水を飲みたがり、買いに行っている間に死んでしまったという話も嘘で、空子は二階堂社長の混乱につけ込み、着々と自分の務めを果たそうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第百六十九話

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チエは、病気を治す方法があると空子から話を聞かされ、呆気に取られた。

病気が治るだけではなく、その後は年を取らず、病気にもならない体になれる。

 

夢物語か出鱈目か。

 

「チエさん、どうですか?」

「いい話だけど、信じられないような話だね」

「では、今のままでいいんですか?何もしなければ、あなたは確実に死にます。お嬢さんとも、永遠に別れることになるんですよ。

生まれ変わりを信じたところで、またお嬢さんに巡り会えるとは限りません。

私が話した通りにシステム置換人間になれば、あなたはお嬢さんのところに帰ることだってできるんですよ」

 

回復の見込みのない状態では、確実に死ぬ。

空子の言葉は、チエの胸に響いた。

 

「じゃあ、空子の言う通りにしたら、唯とは別れなくて済むのかい?」

「そうですね、少なくとも死ぬことはありません」

 

このままいても、死んでいくだけ。

そうなれば、空子の言葉の通り娘とは永遠に別れることになる。

 

チエは決心した。

 

「わかった、やろうじゃないか。その、システム置換なんとか、なってみようじゃないか」

「いいお心掛けですね」

 

空子は、繰り返しにはなるがと前置きして、もう一度説明した。

 

チエはエンゼル病院を出て、空子を稼働させるスカイゾーンに会いに行く。

スカイゾーンは人智を超える神であり、回復不可能だった病人を何人も回復させ、蘇らせている。

忠誠を尽くすという条件を呑めば、願いを叶えてくれる。

 

空子に誘われる多くの者は身寄りがなく、エンゼル病院を退院扱いで出発するが、チエは娘に怪しまれないよう一旦、仮死状態になり娘の目を欺くしかない。

 

欺かなければならない理由は、チエの娘が、スカイゾーンを開発したワールドMDF社と敵対関係にあるデーバ重工の社長を務めているからだった。

 

「でも、唯を裏切るみたいで申し訳ないような気がするね」

「では、この話はなかったことになさいますか?」

 

空子は、今のままではチエは確実に死ぬと繰り返した。

 

「うーん、生きていれば、唯にはまた会えるね」

「そうです、仰る通りです」

「じゃあ、やるよ。それにしても、空子、あんたは唯がデーバ重工の人間だってことを知ってたんだね」

「はい、私は出荷前に、お仕えするユーザー様のデータをインプットされます。お申し込みの際、お嬢さんはお仕事をちゃんと自己申告なさっていました」

 

空子に誘われた通りにすると決めたチエに、空子は仮死状態になることについて説明を続けた。

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ポッサロ大学病院への慰問を勝手に強行したカズトは、キョウトウの街に戻ると、所属事務所に呼び出された。

 

「どうして呼ばれたかわかってるな」

 

ハヤトを担当してきたマネージャーの表情は険しかった。

 

「僕が勝手にポッサロ大学の仕事を引き受けたからですよね」

「わかっているなら、そんな馬鹿げたことは止めないか。社長もカンカンに怒っているんだぞ」

 

神山ハヤトがデビュー当時から所属する事務所の社長はもちろん、

マネージャー、他のスタッフも、ハヤトの思い切った路線変更には反対していた。

 

皆がハヤトだと思っているのは、実は入れ替わった双子の兄・カズト。

それを知らない周囲の人間は、ハヤトが路線変更し哲学的で、メッセージ性の強い楽曲を発表するようになったことを高く評価する者、戸惑いを隠せない者、あからさまに反対する者、各々、立場によって反応は異なっていた。

 

「とにかく、今回のことは社長に謝れ。そうしたら、まだ許してくれるだろうな」

「嫌です」

 

カズトは、何を謝れと言うのかと反発した。

 

「何だと?ふざけてんのか?」

「いいえ、真面目にそう思ってます。病院への慰問は、音楽をやる者にとって意義のある活動です。

僕はこれからも、そういう仕事をしていきたいんです。

社長が反対するなら、この事務所は辞めさせて頂きます」

「辞めてどうするんだ?」

「若林さんと一緒にやっていこうと思っています」

 

カズトは、以前から自分の活動を良く思っていない、今の事務所を退所し、ユニット・グレースの活動を共にする、若林ケンに合流すると言い切った。

 

「馬鹿な、あそこは若林だけの個人事務所だろ」

 

マネージャーは、今の大手事務所を退所すれば、これまで通りに仕事を続けるのはかなり難しくなると忠告したが、カズトの意思は固かった。

 

「社長も、僕の活動には理解がないんだし。セールスを伸ばしただけでは駄目なんですか?」

「駄目に決まってるだろう。お前は金持ちの若い女をそそのかして、

うちの事務所の後輩のファンとして、取り込むためにも活動してきただろう」

 

ハヤトの所属事務所は、多くの若手アイドルも抱えていて、

ハヤトに期待される役割は、ファンを若手に誘導することでもあった。

 

「つまり、僕の稼いだぶんは、全て事務所のためにある。

僕は、そうじゃなくて、困っている人や社会的に弱い人を勇気づけるために活動したいんです」

「そういうカッコいいことばかり言っても、お前のためにはならない」

「事務所のために働いても、僕のためにはならない。今が潮時ですね、辞めさせて下さい」

「おい!何言ってんだよ!」

 

カズトは、マネージャーの制止に構うことなく、契約満了を待たず事務所を退所すると絶縁の意思を叩きつけた。

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神山ハヤトの所属事務所退所のニュースは、ワイドショーやインターネットでも大きく取り上げられた。

 

ハヤトとユニット・グレースを組む若林ケンの妹の家庭教師を務めるマコトも、このニュースには驚いた。

 

家庭教師で教えているみゆきは、通っている中学に馴染めていないとか、その兄とユニットを組むハヤトが人気絶頂で大手事務所を退所するとか、マコトは何かと心配事が多かった。

 

そして、継父であるアズミ副社長の実の娘・絵里を交えて三角関係のようになってしまっているミサキを、大学で見かけなくなってしまったことも、マコトは気掛かりだった。

 

そんな心配事は絶えなかったが、一人前のコンピューター技術者になり、スカイゾーンシステムを超える物を作る、それがマコトの夢であり、自身を突き動かす原動力でもあった。

 

マコトの夢は、スカイゾーンシステムを超える物を作り、

空子以上に人間の心に寄り添える人工生命体を開発することだった。

 

既に人工生命体で一定の条件を持つ者には市民権が与えられ、

納税者として税を負担し、高齢化した人口の活力を補うまでになっていて、人工生命体をどこまで人間に近付けられるか、多くの技術者が開発や研究に勤しんでいた。

 

市民権を持つ人工生命体として最もよく知られているのは、ワールドMDF社が家庭用に開発した、アンドロイドの海子だった。

 

議論は、家族として家庭に迎えられた海子に相続権を認めるべきか、

どうかということにも及んでいたが、故人の遺志が正しく反映されるのかという観点から、一部ユーザーは猛反発していた。

 

若い男性ユーザーが、利用していた海子と近づき過ぎ恋愛関係になった果てに、自殺してしまったという事件も起こっていて、海子の権利をどこまで認めるべきか、議論は決着していなかった。

 

マコトは、このような問題を解決できるような技術者を目指し勉強していて、所属する研究室は情報科学の研究室だったが、共同研究を進めているロボット工学のゼミにも参加していた。

 

勉強熱心なマコトは、朝早くロボット工学の研究室に来ることも多く、他の学生が来る前に、研究室にあるパソコンを立ち上げて勉強していた。

 

いつものように研究室に行こうとして、鍵を取りに警備員室に寄ると、先に鍵を持って行った者がいると警備員から言われたマコトは、そのままロボット工学の研究室に向かった。

 

「あれ、何やってるんですか?」

 

マコトがロボット工学の研究室のドアを開けると、最近見かけるようになった若い清掃員が、パソコンに向かっていた。

 

清掃員に成り済まし、ワールドMDF社とポンポン大学の共同研究のデータを盗んでくるよう、デーバ重工から命じられたミサキはパソコンを勝手に立ち上げ、突き止めたパスワードを使ってシステムに侵入していた。

 

デーバ重工で顔を作り変えられたミサキを認識できないマコトは、なぜ清掃員がパソコンに向かっているのか、少し不審に思ったが特に咎めもしなかった。

 

「あ、ちょ、ちょっとね。電源が入ったままだったから」

「そうなんですか。誰かな?電源落とさないで帰ったのは」

 

マコトはあまり気にはしていなかったが、ミサキが立ちあげていたパソコンは正に、ワールドMDF社とポンポン大学の共同研究のデータが保存されているものだった。

 

共同研究が保存されているデータの管理は厳重で、ワールドMDF社のセキュリティー部門とも繋がっていた。

 

「おかしいですね、こんな朝早くに。しかもデータをコピーして、

どこかに送ろうとしてますよ」

「どこに送ろうとしてるんだ?」

「今から追跡します」

 

ワールドMDF社のセキュリティー部門は、24時間一日も休まず稼働していて、接続している端末は全て管理下に置き、不審な動きがあればすぐに停止させたり原因の調査を行っていたが、ミサキはそのことを知らないまま、データをコピー、デーバ重工に送ろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

第百六十八話

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ポッサロ大学病院では入院患者のために、曜日を決めてホールでの娯楽の時間が設けられていた。

 

一番好評なのは、北海道とまと国の君主・とまと国王による、患者たちへの語りかけの企画だったが、その次の週は人気歌手の神山ハヤトが訪れて、歌を披露することになっていた。

 

ポッサロ大学病院に入院した、二階堂社長の母親も、その時間を楽しみにしていた。

 

母親は、とまと国王が聞かせてくれた話に感銘を受けていたが、

その次の日、検査の結果、末期癌と診断されていた。

 

既にできる治療がないほど病状は進んでいて、痛みをコントロールする程度のことしかできない状況だと、本人も同席のうえで主治医から説明を受けていた。

 

「唯、お母さんのことはいいから、キョウトウに帰りなさい」

 

母親は、デーバ重工の社長としての娘を気遣ってそう言ったが、

二階堂社長は別の提案をした。

 

「じゃあ、お母さんも一緒に行こう」

「私は、ここを離れられないよ」

 

北海道とまと国出身の母親は、この土地を今さら離れる意思はなく、

二階堂社長は仕事と母親のことで、板挟みになる思いだった。

 

「唯、そんなことよりも、今日は歌手の人が来る日だろ。連れて行っておくれ」

 

病状が深刻な母親だったが、まだ聞いたことのない有名な歌手の歌を聞きたがっていた。

 

二階堂社長が母親を病院内のホールに連れて行くと、

いつも通り、ホールは多くの患者や、介助する看護師、家族でいっぱいになっていた。

 

「今日もたくさん集まってるね。神山ハヤトさんは、こんなに人気があるんだね」

「そうね、前は若い人しか相手にしてなかったみたいだけど、最近は年齢層が高い人も、ファンになったりしているし」

 

二人が取り留めのない話をしながら待っていると、神山ハヤトがステージ上に現れた。

神山ハヤトが来ると聞いて集まってきた若い患者も多く、入院患者以外、通院患者らしき者もいて、ホールはいつも以上に満員御礼な状態だった。

 

「皆さん、こんにちは。神山ハヤトです」

 

ハヤトは珍しくアコースティックギターを抱えていて、挨拶し終わると、ゆったりした静かな曲を歌い始めた。

 

ホールの中ではあちらこちらから手拍子が聞こえ、ハヤトに合わせて歌う患者もいた。

 

現れたハヤトは実は本人ではなく、入れ替わった双子の兄のカズト。

そんなことは誰も知る訳がなく、哲学的でメッセージ性のある歌に皆が聴き惚れていた。

 

カズトは、マネージャーからは病院の慰問のような、収入に繋がらない仕事は反対されていたが、それを押し切ってポッサロ大学病院を訪れていた。

 

ワールドMDF社からのスポンサー契約を打ち切られることで、所属事務所との関係もギクシャクし始め、カズトはやりたい音楽を貫くには、事務所を辞めるという選択肢もあると考えていた。

 

期間限定のユニット・グレースを組む若林ケンには、既にそのことを相談していて、色々なことを考えながら患者たちの前で精いっぱい歌を披露した。

 

「いい歌だねえ」

 

何曲か聴くうちに、二階堂社長の母親もすっかり魅せられていた。

 

「お母さん、ちょっとごめん」

 

母親の隣に座っていた二階堂社長だったが、ポケットに入っていたスマートフォンが鳴り出し、ホールのはずれにある柱の陰に移動した。

 

「もしもし、大森?どうしたの?」

 

電話で連絡してきたのは、二階堂社長の留守中、デーバ重工で社長の代行を務める大森秘書だった。

 

「大変です。葵が事故を起こしました」

「ええ?!」

「申し訳ありません。病院にいらっしゃるでしょうから、電話はよくないのではとは思いましたが」

 

それでも、緊急事態だと大森秘書は続けた。

 

もうすぐデーバ重工が販売を始めるアンドロイドの葵が、事故を起こしたという報告だった。

 

葵は、敵対するワールドMDF社に対抗するために開発された医療用アンドロイドだったが、ユーザー向けの発表会で制御不能に陥り、

ユーザーを襲撃、集まったユーザーの中に、怪我人や死者も出るほどの被害を出していた。

 

「原因は調査中ですが、おそらく、思考回路のエラーです。

葵がユーザーを襲うなどあり得ませんが、もしかしたら、逆の方向に設定してしまった可能性も考えられます」

 

葵は、ユーザーを思いやり励ますために歌える機能がつけられていたが、ユーザーを守るために、不審者に対しては攻撃する能力も設定されていた。

 

「社長、こちらに戻って来れませんでしょうか?幹部を集め、対策を考えなければなりません。今のところ、マスコミにこの情報が流れないよう抑えさせてありますが、もし流出すれば、我が社にとっては致命的です」

 

二階堂社長は大森秘書の話を聞きながら、離れたところでハヤトの歌を聴いている母親の様子を見ていたが、母親を心配するのと同じくらい会社の問題も気がかりだった。

 

「唯、誰から電話だったの?」

「あ、大森から仕事のことでちょっとね」

 

二階堂社長が大森秘書と話している間に、神山ハヤトは最後の曲を歌い始めていた。

 

「神山ハヤトさんって、いい歌手だねえ。レコードを買いたいくらいだよ」

 

ハヤトの歌の時間は、とまと国王が訪れた時と同じように、患者たちの体力を考え20分程度で終了した。

 

ホールのステージ脇ではハヤトのレコードも販売され、患者たちは続々と買い求めていた。

 

「お母さんも買う?」

「いいねえ。もう家に帰ることもないけど、手元には置いておきたいよ」

 

レコードはもう数えるほどしか残っていなかったが、母親は希望のレコードを何枚か買い求めた。

 

病室に戻ってからも、よほど気に入ったのか、母親はハヤトの話ばかりしていたが、二階堂社長は思い切って、大森秘書が連絡してきた話をしてみることにした。

 

「ええ?新製品の事故?」

「そう、今はまだ表沙汰にはなってないけど、私は社長としてこの問題には対処しなきゃならないの。でも、お母さんを一人では置いて行けない。私と一緒に来て」

 

母親は少し考えてから、こう答えた。

 

「唯、それでもいいけど、お母さんもあんたに頼みがあるよ」

「何?どんなこと?」

「空子を買っておくれ」

 

母親の願いは、医療用アンドロイド・空子と過ごすことだった。

 

空子は、回復不可能な病人の苦しみや悲しみ、嘆きや絶望に寄り添える思考や感情も持つと評判が良く、母親もそのことは知っていた。

 

「最後の最後まで、空子といろんな話がしたいよ。私は難しいことはわからないけど、周りの人から評判を聞いたら、私も空子と死ぬまで過ごしてみたい」

 

空子を開発したワールドMDF社とは敵対関係にあっても、回復の見込みがない母親の願いなら、二階堂社長は聞き入れようと決心した。

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「二階堂チエさんですね。初めまして、私が空子です」

 

二階堂社長とキョウトウの街にやって来た母親のチエは、エンゼル病院に転院し、納品された空子を迎えることができた。

 

「空子、こちらこそ初めましてだよ。まあ、可愛いねえ」

 

人気アイドルの佐伯まゆをモデルに作られた空子を見て、チエは見惚れてさえいた。

 

「こちらがお嬢さんの唯さんですね。よろしくお願いします」

 

外見は人間の少女と見分けがつかないくらい、人間そっくりな空子は、二階堂社長に対しても丁寧に挨拶した。

 

「はい、よろしくお願いします」

 

敵対するワールドMDF社が開発した空子に対する感情は複雑だったが、全ては母親のため、二階堂社長は自分にそう言い聞かせていた。

 

空子は人間並みかそれ以上の知性も持つ。

自分がワールドMDF社と敵対するデーバ重工の社長だと、知っているに違いない。

二階堂社長は、内心そう思ってはいたが聞いて確かめる訳にもいかず、母親を預けるしかなかった。

 

「じゃあ、空子、私は仕事があるから、後はよろしくね」

「はい、かしこまりました」

 

それからというもの、二階堂社長は、デーバ重工が開発したアンドロイド・葵が起こした事故の件で忙殺され、チエを見舞うことが難しくなったが、チエは空子と残された時間を有意義に過ごしていた。

 

「チエさん、今日もいいお天気ですね」

「そうだね。空子、あんたに出会えて本当によかった」

 

空子は、天気がいい日はいつも、チエを車椅子に乗せエンゼル病院の庭を散歩していた。

 

「チエさん、今日は私からお話があります」

 

大きな木の下の日陰に入ると、空子はある話を切り出した。

 

「何の話だい?そんなに改まって」

「チエさん、実はあなたの病気を治す方法があるんです。試してみませんか?」

 

美しい空子は微笑みながら、回復不可能な状態でもそれを治し、その後は病気にもならず、既に70代のチエを若かりし頃に戻す方法があるのだと言い出した。