とまと万夜一夜物語

どこまでも続くお話です

第百三十一話

エンゼル病院で、空子が患者に語りかける時間と、その後特別に慰問に訪れた神山ハヤトが歌を披露する時間も終了し、患者たちはボランティアや看護師の手を借りながら、病室に戻って行った。

 

「お疲れ様でした、今日はありがとうございました」

 

ハヤトがステージを下りてホッとしていると、空子が礼を言いながらお茶を運んできてくれた。

 

「あ、ありがとうございます」

 

ハヤトは、傍にあった椅子に腰かけて丁寧にカップを受け取った。

 

「神山さんは、ご丁寧な方ですね。私のようなアンドロイドにも、

きちんと挨拶して下さいましたし」

「空子の方こそ素晴らしいよ。話には聞いていたけど、患者さんの心にちゃんと応えているんだね」

「はい、私はそういう風にプログラムされていますから」

 

ハヤトは、空子が謙遜する態度にも感心していた。

 

「さっき、患者さんも質問していましたが、神山さんは急に路線変更して、いい歌を歌われるようになりましたよね。宗教学のお話もされていて、まるでどこかで勉強されていたのかと思ったくらいです」

「ああ、何事も勉強が大切ですから」

 

空子は、ハヤトの話していたことに興味を持ち、色々なことを質問してきた。

 

「今日は、本当にありがとうございました。次の仕事がありますので。最後に聞いてもよろしいでしょうか?」

「何かな?」

「失礼ですが、本当に神山ハヤトさんですか?」

 

ハヤトは、どういうことかと聞き返した。

 

「私が、勝手に考えているだけかも知れませんが、ハヤトさんは一卵性双生児のお兄様がいらっしゃると伺ったことがあります。

お兄様は、大学生だとか。瓜二つの双子の兄弟は、親御さんをびっくりさせたり、ちょっとしたイタズラをして入れ替わることもあると

聞いたことがありますが」

 

空子は、ハヤトが双子の兄と何かの事情で入れ替わってはいないかと、尋ねてきた。

 

「そ、そんなことはないよ。どうして、そんな風に考えるんだい?」

 

カズトは、正体を見透かされたようで少し狼狽えた。

双子の弟、ハヤトと自分が入れ替わったことは、当人同士しか知らないことであるというのに、空子にそのことを見透かされたような気がした。

 

「私の思い過ごしですね、失礼しました。これからも、いい歌を歌って下さい。応援しています」

 

空子は、次の仕事があるからと、カズトが飲み終わった空のカップを持って去って行った。

 

葉山幸一郎は、山中で首を吊って死亡した状態で発見された。

このニュースを聞いた絵里は、もう追われることはないだろうと安心して、海子と一緒に北海道とまと国を旅行で訪れていた。

 

「北海道とまと国、いいところだね」

 

風俗店で働き、同棲していた幸一郎に暴力を振るわれていた絵里は、逃げ出したものの幸一郎に追われて怯えて暮らしていた。

父親のアズミ副社長が襲撃されたり、絵里の周辺は不穏だったが、

幸一郎が自殺したことで事態は収束したかと思われていた。

 

そこで、絵里は、旅行に行きたいと海子に提案していた。

幸一郎の影に怯え、大学受験を目指して勉強する絵里は

かなりのストレスを感じていた。

 

絵里が目指すポッサロ大学は北海道とまと国にあり、

絵里は一度は訪れてみたいと願っていた。

 

そんな絵里の願いをかなえてやりたいと考えた海子は、一緒に旅行をすることにした。

 

「海子、ここで降りたら、ポッサロ大学があるんだよね」

 

地下鉄の駅を降りると、絵里は地図を広げて周りを見回した。

 

「へえ、この辺、昔は、路面電車が通っていたんだね」

 

絵里は、駅のすぐ傍にある観光客向けの案内板を見ながら言った。

 

「ええ、今でも街の中心部にある、キツネ小路まで路線が伸びていたんですね」

「キツネ小路も行ってみたいな、とまと国王のお父さんとお母さんの記念碑があるんだよね」

 

北海道とまと国を治める、とまと国王のドキュメンタリー番組が作られた記念に、国王の両親が出会った洋品店・ソレイユの跡地には記念碑が建てられていた。

 

政治にも興味を持つ絵里は、初代とまと国王と並び、名君として知られるようになったとまと国王を、高く評価していた。

 

「ここが、ポッサロ大学かあ。すごくキャンパスが広いんだね」

 

ポッサロ大学の敷地面積は、国内一でキャンパスの中には

農学部の研究施設、農場があることでも有名だった。

 

「こっちが、文系学部の建物だね。意外とこじんまりしてるんだね」

 

絵里は、文学部・法学部・経済学部・教育学部の建物が並ぶ様子を

写真に収めていた。

 

それから、何日かかけて二人は北海道とまと国を回り、絵里は大いに羽を伸ばして旅を満喫した。

 

「海子、ありがとう。海子がいてくれるから、勉強だって何だって、安心できるよ」

 

絵里は、旅の終わり、空港に到着すると改めて海子に感謝の気持ちを伝えた。

 

「絵里さんのお役に立てて良かったです。私こそ、これからもよろしくお願いします」

「海子は、可愛いくて頭もいいし、人間としても素晴らしいよね……」

 

絵里は、そう言ったものの、何か違うとつけ加えた。

 

「あ、違うよね。海子は、人間じゃなくてアンドロイドだったよね。ごめんね、でも、何て言ったらいいんだろう。

海子は、人間以上に人間だよ」

 

絵里は、頭脳明晰で心優しく、時には勇敢な海子という存在を、

何と言い表してよいものかと、ずっと迷っていた。

 

「絵里さんのお気持ちは、とても嬉しいです」

「そう言ってくれると、あたしも嬉しいよ。海子に遠く及ばない、

くだらない人間は、いっぱいいるし」

 

高校中退で家出し、風俗店で働いていた絵里は、たちの悪い客に屈辱的な扱いを受けたり、共に働く仲間だと思っていた他の風俗嬢に騙されたり、信じて同棲を始めた葉山幸一郎には、暴力を振るわれたうえに、稼いだ金を巻き上げられたり、すっかり人間不信になったこともあった。

 

実の父親のアズミ副社長に再会し、海子と暮らすようになって救われた。

絵里は、少し涙ぐんでいた。

 

「絵里さん、飛行機、搭乗の案内が始まりましたよ。行きましょう」

 

海子が優しく手を伸ばすと、絵里も手を伸ばし、二人はそっと手を繋いでゲートに向かった。

 

「おお、これはまた、随分たくさん買ってきたんだな」

「でしょ、このお菓子、美味しかったからいっぱい買ってきたんだ」

 

自宅に戻った絵里は、父親のアズミ副社長と思いを寄せるマコトを

招き、買ってきた土産物を渡していた。

 

「マコトくん、これ、家庭教師に行っている、若林さんチにも持ってってあげて」

「わあ、気を使わせちゃったね」

 

絵里は、ポンポン大学に通うマコトが家庭教師のアルバイトで教えている、歌手の若林ケンの妹とケン本人のぶんも、土産物を買ってきていた。

 

「そうだ、来週は、若林さんのライブだね。楽しみだなあ、

神山ハヤトとのコラボ、期待できるね」

 

若林ケンと神山ハヤトは、若手ミュージシャンの中でもひときわ注目されていて、期間限定でユニットを組んでライブツアーを予定していた。

収益の一部は、身寄りのない子どもの支援や障碍者団体へ寄付されることになっていた。

 

「絵里ちゃんも良かったね。葉山幸一郎は自殺したし、

安心してライブにも行けるね」

「うん、そうだね。一応、海子もついて来てくれるけど」

「海子なら、音楽もわかるだろ」

 

マコトが言うと、海子は頷いた。

 

「はい、特に最近の神山さんの作品は、商業的に当たることだけを

狙わず、伸び伸びとご自分のお気持ちを歌っていると思います。

ですから、聴く人の心に響き、結果的に前よりもセールスを伸ばしているんですよね」

「さすが海子だ、名評論家だね!」

 

マコトがそう言うと、全員が揃ってドッと笑い合った。

 

若林ケンと神山ハヤトのユニット・グレースのライブは、チケットは即完売で会場は満員だった。

 

「すごーい!ライブって初めて来たけど、こんな広いところでやるんだね」

 

絵里は、初めて参加するライブの会場の広さに圧倒されていた。

 

マコト、絵里、海子の座席は、大ホールの3階席で、ステージからはかなりの距離があった。

若林ケンも神山ハヤトも、どのファンにも平等であるべきとの信念があり、妹の家庭教師を務めるマコトに対しても、ケンは座席について優遇することはなかった。

 

この日のライブのチケットは、ハヤトが考案した記名式のチケット制を取っていて、高額転売も防ぐよう考慮されていた。

 

しかし、そのハヤトの正体は入れ替わった双子の兄・カズト。

カズトは、多額の金銭を使える者が金に物を言わせて、転売された

チケットを購入することに対して批判的に考えていた。

 

「でも、いいよね、小さくしか見えなくても。アイドルを見に来てるわけじゃないし、歌を聴きに来てるんだからね」

 

激しい争奪戦の末、やっと手に入った貴重なチケット。

絵里は、ステージから遠い席でも満足していた。

 

「絵里ちゃん、グッズでも見に行こうか。収益の一部は、困っている人に寄付されるから、僕らも貢献しようよ」

「そうだね。海子も行く?」

「はい、お供します」

 

三人は、開演までの間、ライブのグッズを購入しようと席を立った。